私はバカである。

日々を綴る。徒然に。すべて実話です。私が出会った人、私の周りで起こったことについて思ったことを素直に書きます。小説もどきになっているかもしれません。

居にくい居酒屋。11月。

上京してすぐの頃、居酒屋で働いていた。

4ヶ月も続かなかったが。

居酒屋で働くには苦手なことが多かったのかもしれない。


バイトをするのは人生で二回目だった。

高校の時、短期で郵便局の葉書の仕分けをやっていた。事務的な作業であまり記憶にない。1日五時間。葉書を名前ごとに仕分けていく作業。小学生でもできる簡単な仕事で、賃金は地元の最低賃金だった。日数も10日もない。アルバイトしたことあるよ!と、胸を張れるほどでもなかった。


居酒屋でのアルバイトは多いときに週5日。夕方から閉店まで。幸い終電までには毎回間に合った。

しかし、早寝早起きを続けていた私にとっては正直辛かった。

日を跨いで帰り、風呂にも入らずに寝てしまうことが多かった。その頃は大学にも真面目に通っていたし、サークルに期待を膨らまし、集まりには参加をしていた。

店長も気さくな人でシフトの融通を聞かせてくれるひとだった。


それに私は甘えてた。


もともと人と接するのが苦手だった私は、次第にお客さんの絡みがきつくなってきた。タバコも得意ではなかった。

シフトの時間を調整すればよかったものの、閉店まで働いた。

酔っぱらいのお客さんは対応にこまった。何か言われてうまく返せないのも嫌だった。

バイト先の先輩たちは、みんな気さくて見た目も性格も正反対の人ばかりだった。髪の毛を染めて、ピアスとお化粧。綺麗な人が多かった。優しい人ばかりだ。中には、あたりの強い人もいた。私と同じ学生アルバイトが店員の大半を占めていた。

厨房の隅にあった休憩場所で賄いを食べていたのだが、時々先輩の中にタバコを吸っている人がいた。煙も臭いも好きになれない。声をかけてくれることもあったが、はいとか、そうですねとか単調な返事しか返せなかった。一度誘われた飲み会も、適当な理由で断った。


バイトになれてきた頃、オーダーミスが増えた。居酒屋に行くのが憂うつになる。常連客への対応はそれぞれ違って。それを覚えるのも大変だった。もともと人の名前を覚えるが苦手なのだ。客が少ないと、やることがなく突っ立っているばかり。やることを探すも何をしていいかかすらわからないことが多かった。

一度、酔っ払いのお客さんからクレジットカードを預かったことがあった。レジでこれで精算してくれと。

席からレジまで持っていくと、店長に怒られた。

クレジットカードは預かるものではないと。

私はそんなことすら考えられなかったのか。と、落ち込んだ。バイト先での一番大きな失態だったのかもしれない。

それから、店長の顔を見るのが怖くなった。



サークルが楽しくなってきた頃、バイトを止めた。

チャットアプリで店長に告げた。

その月は二回しかシフトに入っておらず、一度病欠した。

店長は、今月はもうこなくていいですと返事をしてきた。

怒っていたと思う。ミスが増えて来た頃からあまりいい顔をされなかったし、やめたいと言ったこと、前回の病欠のこと。怒られて当然だ。私が店長の立場でも腹が立つ。


社会をなめてる学生だと。


店をやめる連絡をした日。店長を怒らせてしまったことへの罪悪感、恐怖。それと店をやめたことへの安堵があった。

アルバイトに対する責任のなさは確かにあった。甘えも許されるだろうと気持ちがあった。

しかし、あそこは自分に向いてなかったのだ。

やめた理由は適当につくった。本当のことはいってない。


振り替えると申し訳ないが、やめてよかったと思う。


よく、バイトがきつい。


と、言っている人がいる。

私はそれを聞くたびになぜやめないのかと思う。事情はあるだろう。やめられない理由もたくさん。だけど、自分を苦しめる場所ならば、新しい場所を探すのもありなのではないだろうか。


そのあと色々な場所を渡った。ほとんど続かなかった。


私は自分に甘い人間だ。誰よりも自分を甘やかす。

言い訳をつけて、逃げてばかりだ。立ち向かうのは苦手だった。

悪い部分だとは思う。

しかし、そうしないと時々死んでしまいたくなった。

これもまた、言い訳に過ぎない。


それにしても、当時の私はもっとちゃんとした手順を踏むべきだったと思う。

人が苦手で怖かった。それでも店まで言って自分の意思でやめることを告げるべきだったな。と、反省している。



あれから店がどうなったかしらない。看板が出てるところを見ると潰れてはいないようだ。

ただの1人のバイトである。とっくに忘れられているだろう。

だけど私は一生覚えている気がする。

逃げるようにやめたあの居酒屋を。




では。また。

あくび。

しらないし。11月。

少し前の話をしよう。


私は半年以上ぶりに実家に帰った。

バスと飛行機で数時間。長いようで短い旅だった。

飛行機に乗るたびに思うことがある。鉄の塊が飛んでいるのだと。不思議なことだ。人間は空までも自分たちのものにしようとするほど強欲なのか。

地元の空港に降り立つと迎えたのは母であった。

朝早くの到着だったため、ファミレスで朝食をとり実家へと移動した。

田舎は人が少ない。

母とは色々話したが、私が大学に言っていないことを知っている彼女の二言目には学校へいきなさい、だった。

私は適当に聞きながした。

私の生活を知らない母に適当に嘘をつけたが、なんとなくできなかった。罪悪感だろう。

そんなもの抱くくらいなら学費を無駄にするなと、自分でも思う。


久びさに実家に帰ると、私の部屋はない。変わりにその場所は弟のものになっていた。

変わりに元弟の部屋が実家にいる間の私の部屋になった。


1日が終わり、夜。

私の部屋にはベッドがあったが、荷物が積まれ、寝る場所はない。

しかたなく押し入れの布団を出そうと押し入れをあけた。

見覚えのない敷き布団が一枚。ピンク色の布団だ。丁寧にマジックで名前が書いてあった。

それは親戚のものだった。私が高校三年生の頃に入院した親戚だ。

たしか、母方の祖母の姉か妹だった気がする。

何度か病室を訪れたことがあった。

小学生のころはきょうだい揃って可愛がってもらった記憶があった。

彼女の作る山芋の鉄板焼が好きだった。


なぜ、この布団があるのか疑問だったが、その日は気にせずにそれを使った。



翌日は、母と出掛けた。

道中、車内で母に聞いた。


「ばぁどおしてる?」


ばぁとは、例の親戚である。本当はばぁこ前に彼女の住んでいる場所の地名が入るのだが、伏せておく。


「あら、あんた知らんかったっけ?春に亡くなったよ」


来週の予定を告げるかのように母は言った。

あっさりと。


「葬式出なくてよかったの?」


「いいよ。出なくても」


母の叔母にあたる人だった彼女のことは、時々気になっていた。が、地元を離れてから、その後のことは何も知らなかった。

私は、そっか。

という感想しか出てこなかった。

母は長年、看護の仕事をやっている。そのため、誰かが亡くなるということをあまり重く受け止めるところをみたことがない。

職業柄なのか、性格なのか。

娘の私にはわからない。


その話を聞いた私の中に悲しいといい感情はなかった。

ただ、1人、人が亡くなっただけだ。


ばぁの家族には会ったことなかった。いるかどうかも知らない。

ばぁは元気な頃に居酒屋を個人で営んでいた。


幼い頃、遊びに幾度にお菓子をくれた。

お菓子がほしくて遊びにいったいた。

親戚の子たちと家に泊まった記憶もある。



ばぁが亡くなった。


時間が経ち過ぎたのかもしれない。


数年前、恩師が亡くなったときはバカみたいに泣いた記憶がある。その事はまたいつか書こうと思う。

同じ死であるのに。

なぜこうも違うのだろう。


私の彼女に対する愛はとても小さいものだったのかもしれない。


彼女は病院の床で何を考えていたのだろうか。

認知症と言われ、夜病室を抜け出し、家の心配をしていた彼女を私は知っている。

しかし、詳しい病名はしらなかった。



こうして書き綴っていると、なぜか泣きそうになる。

あの日、車内で母から聞いたときに思い出せなかったことを思い出した。

思い出と言うにはあまりにも曖昧な記憶だが、ばぁと過ごした時間を少しだけ振り返る。景色、音、匂い、温度。すべてが、なんとなくだ。

些細な日常の僅かな時間。

私たちはばぁに愛情をもらっていた。見えないものだが、確かにばぁは私たちに愛を持っていた。

私もすくならなず彼女に愛を与えていたのだろうか。


結局、涙は出なかった。こらえるのは簡単だった。これを綴っている場所が電車の中で人目があったせいかもしれない。

それか、やはり故人を思うには時間が経ち過ぎたせいなのかもしれない。。


またいつか墓参りにでも行こうと思う。

けれどそれも忘れてしまうだろう。


そう思う私が嫌いだ。


だから、今はせめて彼女が天国で、眠っていったその先で安らかに過ごせるように祈ろう。


人はいつか死ぬ。


残された私たちはその人の心を知らない。

そして、残したその人は残された私たちの心を知らない。


たとえ、愛があってもなくても。


さよならが言えなかった後悔もなく別れて、その言葉すら届かないのだから。



知らない死は突然だった。

けれど私の日々は変わらない。

朝起きて、1日を過ごし、夜になったら寝る。

何も変わらないのだ。

毎日が続いてく。

人が1人亡くなった。


それは私の親戚だった。

私に愛をくれた人だった。


それだけだ。




では。また。

あくび。

私はバカである。11月

私はバカである。

例えば、相手の考えることが読めないときがあったり。

その場の空気を壊すことがあったり。

本を読んでいて読めない言葉や理解できない単語が出てきたり。

これもすべて私の人生で勉学や人付き合いを怠ってきたせいだとは自覚がある。

いまさら、どうにかしようにも方法がわからない。

嘆いたところで仕方ない。

そうだ、ブログを書こう。こんなバカな私を世界に発信してみよう。

同じように悩む人がいるかもしれない。


さて、自己紹介がてら今の私について少し説明しておこう。


1年と少し前に上京してきた。

そこそこ大きな大学に通う学生である。

しかし、受け皿として通い始めた大学は今はほとんど行ってない。

サークルに入ってみたが、やめた。

人間関係のせいといっておく。

特に熱心に学びたい学問を専攻していたわけでもなく、自然と大学に通う意味をなくしていた。

在学はしているが、毎日アルバイト三昧で敷地内に足を踏み入れることもない。


友達はいない。

地元にはいるが、上京してから友と呼べる存在はできたがいつの間にか消えた。

少し寂しいが、仕方ない。


高校の頃は夢はあった。が、今はどうだろう。

怠惰な日々をおくっている。


これが私である。



将来が非常に不安である。


が、そんなことも気にせずブログを書く。

本当は少し気にしてるのかもしれないし、すごく悩んでいるかもしれない。



ここに私の日々を綴る。

これからのことと、これまでのこと。


しょせん自己満足かもしれない。


それでもいいのだ。


私はバカであるから。



それでは。また。